頭のいい子の育て方
「頭のいい子の育て方」
「賢い子は必ず○○」
など、育児のハウツー本はたくさん出ていて、育児猫もたくさん読んでいます。
↑の記事では、実際に育児猫が影響を受けた本を紹介していますし、ほかにもいろいろ勉強になった本があり、そのうち紹介したいと思っています。
しかし今日は本からの知識ではなく、自分自身の経験から「あれは良かったな」とか「あれはだめだったな」という、非常に個人的な見解を述べたいと思います。
まぁ個人的な意見を言えるのがブログという場だと思っていますので、それは違う!!みたいなことが書いてあっても、大目に見てあげてください。
頭がいいってどういうこと?
子供に頭がよくなってほしいと思わない親は、あんまりいないと思います。
悪くても構わない位に思っていることはあるでしょうが、頭が悪いよりはいい方がいい
と考えている人が多数派ですよね。
ただ「頭がいいか悪いか」の判断基準は人それぞれ違います。
学校のテストで判断するのか。
学歴で判断するのか。
稼ぎ方で判断するのか。
人づきあいがうまいかどうかで判断するのか。
まぁいろいろありますよね。
ここを語りだすと大変なことになるので、今日は単純に学校の授業を理解できるかどうか?に焦点を絞りたいと思います。
同じ先生の同じ授業を同じ時間聞いていても、すべての子供が同じように理解できるわけではありませんよね。
実は育児猫は、授業をよく理解できるタイプの子供でした。
決して天才ではありませんし、秀才でもありません。
たいした学歴はありませんし、いろいろ欠けている能力もありますが、ほかの生徒よりも理解力はありました。
このことに気づいたのは、ずいぶん大人になってからでしたが、とにかく一度の授業でほぼ理解できていました。
暗記は得意ではありませんでしたが、理解力で欠点をカバーしていました。
これは中学までは5教科全てにおいて言えることでした。
育児猫は塾に通ったこともありませんし、学校の宿題もまともに提出したことがありませんでした。
家でテスト勉強をすることもほとんどありませんでした。
それでも中学校のころ全学年420人位いるなかで、100番から出たことは一度だけ。
ちなみに100番から出たのは、一年生の最初の実力テストでした。
それ以降は、ほとんど50位以内に入っていました。
平均すると30番位だったのではないかな。
1位になれたことはありませんが、最高で5位までは上がりました。
周りの友達は塾に通い、まじめに授業を受け、宿題を提出して、といろいろ時間とお金をかけていたにも関わらず、ほとんどの子が育児猫よりも成績が悪いという事実を、中学生のころはあまり不思議に思っていませんでした。
まぁ田舎の公立中学校の話ですから、自慢できるほどのことではありません。
ただ育児猫は自分の子供達にも、苦労しなくても学校の授業についていける程度の理解力は身につけてほしいなと思っています。
なぜ理解力がついたのか?
育児猫の母は中卒。
父は高卒です。
父は村で神童と呼ばれたらしいですが、高校では普通の子だったと話してくれていたので、遺伝するほどの頭の良さはなかったと思います。
育児猫の両親は共働きで忙しく、ついでに貧乏だったため、家で読み聞かせをしてもらった記憶はありません。
そもそも家に本がありませんでした。
よく「読み聞かせをすることで本が好きになり、賢くなる」みたいな本を目にしますし、事実そうなのでしょうが、育児猫にはあてはまりませんでした。
ただ読み聞かせはしてもらえなかったけれど、週に3回2時間ずつ、ある本を読んでいました。
それは「聖書」。
父が「エホバの証人」だったため、集会という集まりに火・木・日の三日間、毎週通っていたのです。
ずっと朗読しているわけではないのですが、聖書を読んで「神が何を我々に求めているか」を考察したりするわけです。
物心ついたころには、この集会に毎回参加していましたので、これが読解力の基礎になった可能性は高いです。
聖書は子供向けの言葉で書いてあるわけではありません。
『汝(なんじ)』とか『戒め』とか幼児には難しい言葉がガンガン出てきます。
はっきり言って退屈で、眠くて眠くて大変でした。
でも眠ると父が太ももを「ギュー」っと、つねってくるので、なんとか話に集中して眠らないように努力していました。
また、育児猫は父に可愛がってもらいたいという欲求が強かったので、兄弟の中でも一番熱心に聖書の勉強をしました。
この経験から、「やはり本を読むのは理解力をあげる手助けになるだろう」と育児猫は考えています。
なぜ本が好きになったのか?
理解力があるからといって、本を好きになるとは限らないと思います。
育児猫が本を好きになったのは、「ほかにやることがなかったから」に他ならないと思います。
貧乏でおもちゃは買ってもらえなかったし、父も母も忙しく構ってもらえない。
でも図書室に行けば本は無料でいくらでも読めました。
小学生のころは放課後毎日のように図書室に通っていました。
また「聖書」を読んでいたおかげか、年齢のわりに難しい本でも楽に読めていました。
そういう難しい本を読んでいると周りから「すごいね」と言われましたし、大人の世界を垣間見ることもでき、ますます読書にのめり込んでいきました。
今日のまとめ
自分自身の経験からも、やはり理解力をつけるのに読書は有効だったのだろうと思っています。
ただし、少し難しい本でもチャレンジすること。
本人が望んで楽しく読めることなども重要なのかなぁと考えています。
「読み聞かせしているのに、子供が本を読むようにならない」と嘆く方がいらっしゃいますが、その場合はたぶん退屈な時間を作ってあげられていないのではないかなぁと思います。
たとえば本を好きになる前に、動画やテレビでの暇つぶしを教えてしまうと、本好きへの道はぐっと遠ざかってしまう気がします。
大人でも子供でも、楽なほうがいいですからね。
あと子供は親に愛されたいと望んでいますから、「お母さんは本を好きになってほしいのよね」とストレートに小さいころから伝えておくのもいいと思います。
もちろん親自身も読書を楽しむところを見せてあげてほしいです。
今日は頭のいい子の育て方 個人的見解その1でした。
個人的見解と言いつつ、やはり一番最初に書きたくなったのは「本」のことでしたw
次はもっと普通じゃない個人的見解を書きたいと思います。
では今日はここまで
最後までお読みいただきありがとうございました。
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