モンテッソーリ教育を紹介すると
こちらのブログで先日「モンテッソーリ教育に決めた理由」という記事を書きました。
現実世界でもたまに他のお母さんにもモンテッソーリ教育を始めた理由を話すことがあります。
相手のリアクションは好意的なものから否定的なものまで様々です。
他の幼児教育メソッドや早期教育を取り入れられている方からは、否定的な言葉を頂くこともしばしばあります。
人それぞれ考え方が違うのは当然ですし、子供の責任を負えるのは、基本的に親だけですから、別にこちらの考えを押し付けようとは思っていません。
ただ、なかには「私は何にも考えてなかった」
「何にも考えずに一番近くの保育園に入れてしまった」
「ちゃんと調べればよかった」などと反省される方もいらっしゃいます。
でも私はこういう方には、そもそもモンテッソーリを含む特別な幼児教育メソッドは必要ないのだろうと思っています。
幼児教育とは
そもそも幼児教育とは、1~6歳(就学前の幼児)の幼児が生活するすべての場において教育の総称です。
ですから、幼稚園や保育園はもちろん、家庭でのしつけも「幼児教育」に含まれます。
必要を感じない方は、それ以外に特別な教育法を取り入れる必要は特にないと思います。
つまり「我が子には幼児教育しなかったなぁ」という反省をする必要はないと思います。
普通に育てただけで、幼児教育は行われているのです。
モンテッソーリなどのメソッドが必要だったのは
私が妊娠中から、必死で幼児教育についていろいろと調べた理由。
そしてモンテッソーリ教育のメソッドを必要とした理由。
それはひとえに「自分の育ちに自信がない」せいです。
両親の教育は間違っていたという確信はありました。
でも「じゃあ正しい教育ってどんなのだろう?」という問いに対する答えは持っていなかったのです。
その答えは私の中にもなかったし、実家にもなかったです。
そして義母は素敵な人ですが、なぜか旦那の幼少期のことはほとんど覚えておらず、旦那が一体どんな風に育ったのかわかりませんでした。
旦那自身も幼少期の記憶は断片的で、「まぁ不幸じゃなかったんじゃない」位にしか覚えていないので、あてになりませんでした。
だから育児猫は「幼児教育」について調べたのです。
そしてモンテッソーリ教育を自分の子育ての指針にしようと決めたのです。
イヤイヤ期が怖い
育児猫はもともと職業に家庭教師を選んだくらいの子供好きです。
でも、スーパーで「買って買ってぇ~」と泣きわめく子。
ひどい言葉で親をののしる子ども。
いわゆるイヤイヤ期の子ども。
他人事なら笑っていられるけれど、自分の子だったら耐えられるかどうか自信がありませんでした。
何を言っても「イヤ!」っていう子に、ほとほと疲れてノイローゼになってしまう人も知っていましたし、嫌になってパチンコに逃げてしまう人もいました。
「自分の子どもだったら何をしても可愛いはず」という無償の愛を自分が持っているのか、自信がありませんでした。
だって、自分は可愛がられなかったのですから。
ですから、イヤイヤ期はなぜ起こるのか?
回避できないのか?
回避できないとしても、軽く済ませることは出来ないのか?
などを、徹底的に調べたのです。
幼児教育の指針が必要ではない人
モンテッソーリに限らず、特別な幼児教育メソッドが必要ではない人はたくさんいます。
それは「幸せな幼少期」を過ごした人。
もしくは「伴侶が幸せな幼少期」を過ごした人。
そういう方はたぶん育児に対して恐怖感も劣等感も抱いていなくて、自分の子供にまっすぐ愛情を注ぐことができるのだと思います。
特別な幸せである必要はなくて、「親から愛されたなぁ」って思える方なら特別な指針がなくても、きっと大丈夫なんでしょうね。
ですからこのブログに限らず、様々な幼児教育メソッドの情報がありますが、必要としなかった方は胸を張って「特に必要としなかった」と考えてほしいです。
最後に
今日は育児猫がモンテッソーリ教育を必要とした理由について書きました。
今まで周囲に「私は何にも考えなかった」と反省させてしまったことがあります。
でも「何にも考えずにすんだ」ことは、素晴らしいことです。
育児猫は自信がなかったから、知識を必要としたのだということ。
そして同じように自信がない方の参考になればいいなぁと思って、モンテッソーリ教育の話をまた書いていきたいと思います。
ではきょうはここまで。
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