育児猫の思い出 親の育児を振り返る

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子供を授かって、出産を経て、子供を育てる。

一連の流れの中で、大抵の人は自分自身の幼少期を振り返るのではないでしょうか。

いい思い出がたくさんある人。

悲しい記憶が多すぎて、思い出すのが辛い人。

育児猫もいろいろ思い出します。

 

 

 

幼少期が不幸でも鈍感だから大丈夫

人間だれしも、自分が子育てするときに自分自身の育ちに良くも悪くも影響されるのではないでしょうか。

育児猫は自分自身の子供時代は「まぁまぁ不幸」だったと感じています。

虐待されていたわけではないけれど、幸せだったとは思えない。

貧乏だった。

おそらく育児猫自身はアスペルガーである。

等が不幸の原因かと思います。

 

その不幸だった部分を、自分の子供には感じさせたくない。

どうしたら幸せだと感じられたかを考えて、育児に反映させていきたい。

 

こんな風に考えています。

 

自分の育ちが不幸だった時、それをそのまま子供にぶつけてしまう方もいるようですが、育児猫は逆です。

育児猫には人並み外れた鈍感力が備わっているからかもしれません。

この鈍感力が生まれ持ったものなのか、育ちの過程で鍛えられたのかは判然としませんが、おそらく後者なんじゃないかなぁ。

 

今日はそんな育児猫の思い出話に少々お付き合いください。

 

育児猫の家族構成

40年前の実家の家族構成父 昭和11年生まれ 45歳

母 昭和25年生まれ 31歳

姉 昭和39年生まれ 17歳

兄 昭和46年生まれ 10歳 

姉 昭和50年生まれ 7歳

私 昭和51年生まれ  5歳

弟 昭和61年生まれ 卵

となっています。

父と母の年齢差が14歳ありますね。

実は父は再婚で一番上の姉は、母が違う異母姉妹になります。

スーパー鈍感だった育児猫はその事実に中学生になるまで気づきませんでした。

道理でなんだかよそよそしいお姉ちゃんだったわけだ。

 

父は還暦の誕生日に逝きました。

病気だったわけではなく、自殺とは言い切れないけれど、死にたくて死んだんだなという死に方でした。

 

異母姉妹の姉は5年前に逝きました。

脳腫瘍だったらしいです。

らしいというのは、病気になった時も52歳の若さで早逝したときも連絡がなく、知らなかったからです。

異母姉妹とはいえ、そこまで距離があるの?と驚かれるかもしれませんが、これは異母姉妹だからというよりも、宗教観の違いのせいだと思います。

いつか詳しく書こうと思いますが、父はエホバの証人の信者でした。5人兄弟の中で長姉だけが熱心な信者になり、エホバの証人と結婚し、それ以外の道を進んだ他の兄弟との絆を望まなかったのです。

 

育児猫と弟は10歳離れています。

弟はほとんど一人っ子のように育った感じで、ずいぶん甘やかしてしまいました。

私もかわいくて仕方がなかったです。

 

そういうわけで、育児猫は年の近い兄・姉・私の3人兄弟で育ったと考えています。

両親との関係

日頃から父は冗談のように「お前はおまけで生まれてきた」とか「実は橋の下で拾ってきた」などと私に言っていました。

これ最近の育児本には『禁句』として紹介されているセリフですが、父には悪気はなかったと思います。というか思いたい。

悪気はなかったでしょうが、私自身「一番かわいがられている」という実感は全くありませんでした。

父の冗談に子供のころの私は笑うしかありませんでした。

怒ったり泣いたりすれば、父の機嫌が悪くなることを知っていたからです。

 

母は極端な「男尊女卑」の思考の持ち主で、自分も女なのに娘が可愛くないとはっきり言っていました。

 

「子供はやっぱり男の子よね~」と何度も聞かされましたね。

ただ育児猫の実家では、母が外で働いていて父が自営業で家にいたので、母の影響はあまり大きくなかったと思います。

ですから幼いころ母との思い出は、ほとんどありません。

そしてある程度大きくなってからの母との思い出は、最悪なものだらけです。

 

父は私の二つ上の姉を溺愛していました。

いろいろ理由は言っていましたが(姉のほうが嘘をつかないから信用できる、なんでも熱心に頑張る)、実際のところはただ可愛かったのだと思います。

人間の感情なんて、理屈で何とかなるものではありませんからね。

 

育児猫が中学生の時、父が「姉が生まれた前の年、お母さんが死んだ(育児猫の祖母)。姉はお母さんの生まれ変わりだと思っている」と言っていました。

これを聞いたときには、妙に納得したものです。

「あぁそういうことだったのね」と。

父はなかなかのマザコンだったそうで、母の死から立ち直るのが大変だったようです。

確かに姉が生まれたことは父にとって、立ち直るきっかけになったのでしょう。

それを私に言ってどうするの?とは思いますが。

 

 

 

具体的な思い出

姉と私は二学年差で、私が年少のころまで同じ保育園に通っていました。

当然姉は先に卒園するわけです。

初めて私が一人で登園した日のことです。

私は正直に言って姉が大嫌いでした。

親の前でだけ、いい子の仮面をかぶっている姉は、実はまぁまぁ嫌な奴だったのです。

ただ今思い返せば、姉が本当に嫌な奴だったというよりも、私より姉は賢かったのです。

 

とにかくお目付け役の姉がいない保育園での一日を育児猫は満喫しました。

普段の保育園のお迎えはだいたい18時くらいだったのでしょう。

父は自営業だったこともあり、いつも割と早く迎えに来てくれていました。

 

でもその日はなかなか来ない。

友達がどんどん帰っていく。

外がだんだん暗くなる。

友達は一人もいなくなって、先生たちも戸惑っている。

何時だったのかははっきりわかりませんが、父が迎えに来たのは外が真っ暗になってからでした。

そして父から衝撃の一言が放たれました。

「忘れてた」

悲しいとかよりも、びっくりしたことを覚えています。

 

幼い子供にとって親は世界のすべてと言っても過言ではありません。

その世界に忘れられてしまうとは、生きている価値を見出すのにも苦労します。

せめて「仕事でおそくなった」とか、適当に言い訳してほしかったなぁと思います。

 

しかも私がいないことに気づいたのは、父でも母でもなく5歳上の兄だったそうです。

晩ご飯を食べようと「いただきま~す」を言ってから、

「あれ?育児猫は?」と兄に言われて、父も母も気づいたそうです。

 

それから慌てて迎えに来てくれたわけですが、この流れも父は馬鹿正直に私に話してくれました。

 

その日の晩ご飯が天ぷらで、大好物のナスの天ぷらが冷えて油臭かったこと。

涙が出てくるのを何とか堪えて、ごまかしていたこと。

でもやっぱり涙が出てきて、しょっぱかったこと。

泣くと怒られると思っていたし、泣いて悲しむと、愛されていない自分を認めてしまうような気がして嫌だった。

 

この日の出来事は一生忘れられないでしょうね。

 

そして一事が万事こんな感じで、育児猫は育ちました。

 

愛されようと育児猫なりに努力しましたが、すべて徒労に終わりました。

 

両親が私を愛していなかったか?と聞かれると、「多分愛していたんだと思う」と答えます。

貧乏でしたが、ごはんは食べさせてくれましたし、父は子煩悩で一緒に遊んでくれました。

ただ「一番愛されていたわけではなかった」とは思っています。

 

兄や姉とのその後の思い出はこちらです。

 

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今日のしめ

育児猫はあまり自分の傷と向き合ってきませんでした。

向き合っても意味がないと思っていますし、こういうことを乗り越えて今の自分がいる。

「傷ついていない」と思うことで、鈍感力を養ってきたのだと思います。

 

でも、自分の子供には決して同じ思いはさせたくないと考えています。

 

それぞれがかけがえのない存在であること。

何も努力しなくても、母である育児猫は子供を愛していること。

いてくれるだけで、幸せなんだということ。

 

こういう当たり前のことを常に言葉にして伝えるようにしています。

 

言葉って大事ですよね。

 

では今日はここまで。

最後までお読みいただきありがとうございました。

 

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