みえるけど心霊現象は信じていない
先日さんざん「みえる」話を書いておきながら、「でも幽霊は信じない」ということをかきました。
今日はそれがどういう意味なのかを説明したいと思います。
ただし、今日ここに書くことは、あくまでも私個人の見解であり、証明のしようもありません。
ですから、「ただのド素人が勝手に思い込んでいること」だと読み飛ばしていただいても構いません。
もちろん、怖いのが苦手な方もスルーして下さって構いません。
あ、でもひょっとしたら「幽霊」が怖くなくなるかもしれません。
ものは考えようではありますけれど。
基本的に何もしない
色々な霊っぽいものを見てきた経験から、育児猫が気付いたことがあります。
それは「霊っぽいもの」は基本的に何もしてこない。ということです。
「みえる」し、触れるし、確かに重さも感じたけれど、こちらを呪おうとか攻撃しようといった意思を感じたことは一度もありません。
そもそも意味がわからないパターンが多かったです。
夜中に白く光るおしりのように、「なぜこんな幽霊がいるの?」と思うものが多かったのですよ。
もちろん墓場でうすぼんやりした影を見れば怖いし、赤ちゃんが降ってきて金縛りに遭っても怖いんだけど、でもそれはあくまでも私の主観であって、あちらの責任ではないのではないか?
そこから育児猫は「あれはいわゆる映像であって、怨霊などという意思を持った存在ではないのではないか?」という仮説を立てたのです。
みえてしまう「あれら」は、確かに「みえる」けれど死んだ人の魂などではなく、ただの映像。
触れるし重さも感じるわけだから、映像とはいえないかもしれないけれど、とにかくよく出来た3Ⅾ映像のようなものではないかな?と。
んで、そっち側のチャンネルに合っているときには、体がうまく動かしづらくて、金縛りになりやすいのかもしれない・・・
こう考えると、なんだかスッキリしたんですよね
死者にそんな力があるだろうか?
育児猫の父は「絶対にお前たちを祟ったりしない」と生前言っていました。
育児猫も、子どもたちを祟るなんて考えられません。
まぁ死んだことがないので、はっきりしたことはわかりませんけれど、基本的に死後は「無」だろうと感じています。
死んだことないですから、絶対とは言い切れませんけれどね。
それなのに、なぜか色々説明できないものが見えてしまう。
幽霊ではなくて、それは「映像」だとしても、死者が生きている人間を何かを伝えたくて見せているものなんだろうか?
そうだとしたら、意味が分かりにくすぎる・・・
そこでさらに育児猫の仮説は進んだのです。
「映像は死者由来ではなくて、生きている人間に由来するのではないか?」ということ。
「生霊?」と思われそうですが、「生霊」は生きている人間の魂の一部が抜け出していることを指すのです。
でも上に書いたように、基本的に「意思」のようなものを「あれ」から感じることはありませんから、「生霊」とはやはり呼べない気がします。
そうではなくて、例えば墓場のようにいかにも出そうなところでは
「あそこにはきっと出る」と思う人が複数いて、その意識が映像として投影されるのではないか・・・と。
まぁこっちの説もかなりサイコキネシスなオカルトな説なんです。
でも、幽霊の話って結局、死者がサイコキネシス使うってことですよね?
育児猫は死者がサイコキネシス使うより、生きている人間が無意識でサイコキネシス使う方が現実的かなぁと考えちゃったんですよねぇ。
それに育児猫は人の意識は確かに「物質」に作用する力があると思っています。
例えばストレスで胃に穴があくとか、そういうことです。
また育児猫のような人間がみる「映像」は、誰かが見せようと思って出している「映像」ではなくて、たまたま集まってしまった無意識の集団意識だったり、「○○したい」というような強い意志が本人から漏れ出しちゃって映像化しちゃっているだけなんじゃないかとおもうのです。
そして、その映像は誰でも見れるわけではなくて、たまたま育児猫みたいにチャンネルがあっちゃった人が偶然見ちゃうというラジオのようなものなんじゃないかなぁ。
「みえる」というのは特別な能力なんかじゃなくて、年齢や環境で偶然チャンネルがあっちゃったんだけど、そのうちまた勝手にチャンネルが変わってみえなくなることもある・・・っていう自分ではどうにもならない現象だったのではないかしら。
この説を採用すると他のオカルト話も説明できるのです
生きている人間の集団意識が「映像」を作ると仮定すると、他のオカルト話もある程度説明できるのです。
例えばUFO。
ポーランド人のジョージ・アダムスキーが発表した円盤型UFO。
円盤形に三つの着陸のためのギアがついたUFOは「アダムスキー型」と呼ばれ、今でもUFOと言われたら大半の人がイメージしてしまうほど有名ですよね。
でもアダムスキーの写真にはトリックが使われていたことが、現代でははっきりしています。
それなのに、アダムスキーが写真付きで発表した途端、世界中で目撃した人が発生したのです。
それ以前にも、なくはなかったUFO騒動ですが、騒ぐ人が増えれば増えるほど、目撃者が増えていったのです。
もちろん気になって空を観察する人が増えたという理由もあるとは思います。
当然、写真を加工して、有名になるために発表した人もいるでしょう。
でも中には社会的な立場もあり、嘘をつく必要のないような人の証言もありましたから、すべての目撃証言が嘘だったとするのは無理があるような気がします。
たくさんの人が「いるんじゃない?」と信じることで「映像」が生まれることもあると考えると、いろいろ納得できることもあると思うんですけど、皆さんどう思いますか?
「集合意識」や「強い意識」が「映像」を作るならば、ネッシーとかイエティとかも説明可能なのですよ。
まぁ存在を信じている方からすれば、とても受け入れ難いことでしょうけれど。
それに最初に書きましたけれど、証明は不可能ですので、私が好き勝手言ってるだけだと言われたらそれまでですw
それでも心霊スポットはいかないほうがいい
そんなわけで育児猫は「みえる」けれど、「幽霊」は信じておりません。
じゃあ「なんで心霊スポット等には行かないのか?」と聞かれてしまいそうですが、そりゃあ怖いものを見たくないからです。
「幽霊」だと思っていないとしても、完全に説明できない不可解な「映像」を見るのはそれなりにストレスです。
しかも自説が正しかった場合、
心霊スポットはたくさんの人が「あそこはすごい怖い幽霊が出る」と思っているわけですから、ものすごい恐怖映像を見てしまう気がします。
また死者は無力だと思っているけれど、生きている人間の意識がたくさん集まったらどうなるのかはわかりません。
実際「映像」は触感や重さを伴うことがあるわけですから、攻撃することも可能なのかも・・・
結婚したころから、ほとんど「みえる」ことはなくなっているので、チャンネルが変わった気がしますが、何がきっかけでまたチャンネルがあってしまうかもしれないので、刺激したくないというのも本音です。
同じ理由で「お化け屋敷」にもいきません。
「あそこのお化け屋敷はめっちゃ怖い」とみんなが考えると
育児猫だけ「もっと怖いもの」を見せられる恐れがあるので、寄り付きません。
そんなわけで、私は幽霊も死後の世界も信じていないけれど、怖い場所には近寄らないのです。
3記事連続で「心霊スポット」にまつわる話を書いてきましたが、リアルでこの話を人にすることはあまりありません。
変わっていると思われるのは確実ですし、怖がられたりしそうですからねぇ。
この記事を読んで「なるほど」とか「いやそれはないんじゃない」とか、ご意見があればお聞かせくださいね~
↑こちら1クリックで応援よろしくお願いいたします。
では今日はここまで。
諸事情により、ランキングボタンかなり下に設置しています。
よろしかったら1クリックで応援お願いいたします(*- -)(*_ _)ペコリ