広島といえば、原爆を投下された街です
広島関連の楽しい記事が続きましたが、
広島といえばやはり「原爆を投下された街」ということを忘れることは出来ません。
今日の記事は時間で言うと上の記事の間になります。
世界で広島と長崎だけが知っている原爆。
不幸な歴史ですが、避けて通ることはできません。
子どもたちはおそらく中学校の修学旅行で訪れることになるとは思いますが、せっかく広島まで来たのですから親子で平和記念公園を訪れました。
長女はまだ戦争という言葉の意味も正確には理解できていません。
次男は戦争は分かっているけれど、日本が戦争に負けたという歴史は最近知ったばかりです。
長男は「はだしのゲン」を読んだこともあり、広島で何が起きたのかある程度知っています。
そんな温度差がありますが、家族で平和記念公園を散歩しました。
平和記念公園
祈りの泉
平和記念公園の入り口には美しい噴水があります。
この噴水は「祈りの泉」
右側に見える建物は「平和記念資料館」
この噴水は水を求めながら亡くなったたくさんの被爆者の霊を慰めるために作られたものだそうです。
原爆死没者慰霊碑
「原爆死没者慰霊碑」と「平和の灯」
慰霊碑では被爆して亡くなった方々の安らかな眠りを祈りました。
平和の灯は「反核」と「恒久の平和」が実現するまで燃やし続けられるそうです。
早く消える日がくるといいですね。
奥には原爆ドームも見えますね。
鳩も平和を祈っているのでしょうか。
原爆ドームの近くまで歩きましたが、なんというか記念撮影するのが憚られて・・・
近くでの撮影は止めました。
平和の鐘
こちらは「平和の鐘」。
平和記念公園を訪れた人ならだれでも自由に撞くことが出来ます。
力任せに撞くのではなく、優しく心を込めて撞きましょう。
育児猫家は子供達が3人で1度だけ撞きました。
優しい響きでした。
原爆の子の像
この「原爆の子の像」は、佐々木禎子さんという女の子が建立のきっかけになっています。
禎子さんは2歳の時に被爆し、火傷も傷も負いませんでしたが、被爆から10年後白血病を発病して入院。
8カ月後亡くなります。
入院中、病気が治癒することを祈って折り鶴を折り続けたのは有名ですね。
禎子さんの同級生が禎子さんのための記念碑か何かを建てたいと願い、原爆で犠牲になった子供たちすべての霊を慰めるための慰霊碑を作ろうという運動に発展。
この運動がきっかけとなり禎子さんの死から1年後、原爆の子の像の建立が決定したそうです。
原爆の子の像の真下にある石碑には
『これはぼくらの叫びです これは私たちの祈りです 世界に平和をきずくための』
と刻まれています。
子どもを持つ母としては、この像が一番胸に来ます。
修学旅行で来たときには「可哀そうだなぁ」位にしか感じなかったけれど、子どもを三人連れて、ここで起こったことを考えると恐ろしくなります。
こんなことは、地球上のどこででも決して起きてはいけません。
韓国人原爆犠牲者慰霊碑
この慰霊碑が亀に乗っているのは「死者の霊は亀に乗って昇天する」という故事に倣ったものだそうです。
はだしのゲンでも描写されていますが、日本に連れてこられた朝鮮半島の方々もたくさん被爆されています。
碑文の内容が虚偽である(韓民族は一度も他民族を侵略しようとはしませんでした・・・の部分)との指摘もあるそうですが、そこはもう大きな問題ではないと私は思います。
大事なことはただ、二度とこんなことは起きてはならないということです。
Onigiri NITAYA 平和記念公園近くのおにぎり屋さん
長女と次男は元気よく、長男はそれなりに感慨深そうに平和記念公園内を散歩しました。
公園から平和大橋を渡ってホテルに向かっていると、どこからともなくいい香り・・・
あらまぁおいしそうなおにぎり屋さんですよ。
朝ごはんはホテルの部屋でパンを食べてはいたのですが、昨日の夜もお好み焼きだったし、そろそろ白米が恋しいのです。
ふらふらと入店です。
う~ん。安くても一つ200円越えですね。
でもおいしそうだったので、一人一つずつ買っちゃいました。
育児猫はエビ天むす。
長男はサーモンいくら。
次男はツナマヨ。
長女はチーズおかか。
旦那が広島菜巻き。
それぞれ美味しかったようです。
健康で、おなかが減って、食べたいときに食べるものがある・・・
本当に幸せなことですね。
核で他国を脅すなんて、ゆるされることではありませんよね。
では今日はここまで。
諸事情により、ランキングボタンかなり下に設置しています。
よろしかったら1クリックで応援お願いいたします(*- -)(*_ _)ペコリ