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猫との思い出 ミーコ編

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猫との思い出を語ります

育児猫は現在アラフィフですが、20代に猫アレルギーを発症するまで猫を飼い続けていました。

今でも猫は大好きです。

 

しかし旦那も自分もアレルギーなので、現在は飼育していません。

 

それでも子供の頃に作った猫たちとのたくさんの思い出は、かけがえのない宝物として、今でも私を支えてくれています。

 

楽しい思い出、悲しい思い出、笑ったこと、怒ったこと・・・たくさんありますが、今日は悲しい思い出について語りたいと思います。

 

シロの妹、ミーコ

何度か当ブログに登場した伝説の猫シロ

www.ikujineko.com

強く賢い、町内のボスだったシロ。

 

シロは育児猫にとって最初の飼い猫でした。

そしてシロがあまりにも賢い猫だったので、シロの妹をもらいに行った話を以前書きました。

www.ikujineko.com

少々事件は起きましたが、シロとミーコは仲良く育児猫家で暮らしていました。

 

ミーコは白地の多い三毛猫。

目は緑色でとてもきれいな猫でした。

 

ちなみにミーコはシロほど賢い猫ではありませんでした。

トイレの失敗もありましたし、

食べてはいけないものもよく食べました。

 

それでも育児猫と兄と姉の3人はミーコをとてもかわいがっていました。

 

ミーコ行方不明になる

ミーコが家に来てから半年ほど経った頃でしょうか。

ある日の保育園からの帰り道、

お父さんが困ったような顔で「ミーコがいなくなったんだ」と育児猫に話してくれました。

 

父は自営業でガラス屋さんを営んでいました。

車でお客さんの家に行き、割れたガラスを新しいものと交換する仕事がメインです。

 

その日は家から4km位離れた保育園に近い場所でお仕事だったとのこと。

お客さんの家に着いて父が車から降りると、ミーコが車から降りてきてどこかに走って行ってしまったというのです。

父の車は軽のワゴン車で、荷台にガラスを載せていましたから、その荷台にミーコがこっそり乗り込んだのだろうということでした。

 

父は「一生懸命探したんだけど、見つからなかった。お客さんにも見つけたら教えてくださいとお願いはしてきた。ごめんね」と謝ってくれました。

 

ミーコの捜索隊結成

育児猫と姉はミーコのことを心配しました。

ご飯は食べられただろうか?

温かいところで眠れているだろうか?

ドラ猫にいじめられていないだろうか?

 

心配で心配で、姉と育児猫は捜索隊を結成することにしました。

普段は犬猿の仲の二人でしたが、このときはとにかく「ミーコを見付けなくちゃ」という共通の目的が二人を結びつけたのです。

 

平日は保育園と学校がありましたから、週末が来るたびに父が仕事に向かったという道をたどってミーコを探しました。

父がミーコを見失ったという家は保育園の近くでしたから、道はわかっていました。

 

ミーコの写真はありませんでしたから、猫がいそうな家を見付けては口でミーコの猫相を説明して、「こんな三毛猫を見かけませんでしたか?」と尋ねて回りました。

 

おそらく姉と私は土曜日の午後を3週間ほどミーコ捜索に費やしたのだったと思います。

季節はたぶん初夏。

今ほど殺人的な暑さになることはなかったとはずですが、やはりそれなりに暑かったです。

 

父がギブアップ

次はどこを探そうか?と相談していた育児猫と姉に、ある日父が再び謝ってきました。

「ごめんね。ミーコがいなくなったのは嘘だったんだ」と。

 

実はミーコは車にはねられて死んでいたのです。

育児猫は保育園、姉は小学校にいる間の出来事。

父はとっさに「子どもたちが悲しむだろう」と思って、ミーコの死を隠すことにしたのです。

 

育児猫と姉が帰宅する前に庭にミーコの遺体を埋葬。

そしてミーコがいなくなったことにすれば、シロの家出という前例もあったことだし、そのうち諦めるだろうと考えたとのこと。

 

でも毎週、遠くまで水筒を持って歩いていく娘二人の姿に耐えられなくなったのでしょう。

父は嘘をついたことを真剣に謝ってくれました。

 

そして、父は姉と育児猫を庭に連れて行って、ミーコのお墓を一緒に作りました。

姉と育児猫はお墓を作りながらわんわん泣きました。

汗と涙でぐしゃぐしゃになりながら、それでも二人で土を盛り、墓標をたてました。

 

初めての猫の死

このミーコとの別れが育児猫にとって、初めて向き合う「死」でした。

父を恨んだりはしなかったけれど、

突然やってくる別れ。

二度と会えないという悲しみ。

だから生きているうちに可愛がらなくては・・・ということまでその時学んだかどうかはわかりません。

そのときはただただ悲しくて寂しくて・・・

 

でも動物を飼うということは、本当に何事にも代えられない素晴らしい経験だったと今も思います。

 

ちなみに育児猫の5つ上の兄は、当時小学校の高学年。

最初から事実を知らされていたそうです。

だから捜索隊に加わらなかったのねぇ。

 

父はどんな気持ちで娘二人を送り出していたのでしょう。

 

もしも娘がそんなことするって言い出したら、私なら一日でギブアップしちゃうな。

 

ちなみに今日からしばらく(1週間ほどの予定)車中泊の旅にでます。

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