3人の子供を育てていると否が応にも童謡を歌うはめになります。
懐かしいなぁと思いながら、歌うのもあれば
「え?こんな歌詞だった?」ってなるのもありますね。
でも今日は童謡ではない歌の話を書きたいと思います。
今週のお題「秋の歌」
与謝野晶子
『君死にたまふことなかれ』の詩で有名な与謝野晶子。
激動の時代、明治生まれの歌人ですね。
『君死にたまふことなかれ』は日本全体が戦争を是とする中で、日露戦争にいく弟の身を案じて書かれた詩ですね。
現代に生きる私たちにとって「戦地にいく弟を心配すること」「戦争に反対すること」を声高に叫ぶことは、あまりにも当たり前ですが、当時の日本では非常に勇気がいることだったでしょう。
また「みだれ髪」ではそれまでタブーとされていた『女性の官能』を表現していることでも有名です。
ちなみに与謝野晶子は夫である与謝野鉄幹を前妻から奪い取ったとされていて、大変情熱的な方だったのでしょう。
育児猫は彼女の生きざまに共感できるとはいいがたいです。
もちろん弟を案じる気持ちには共感できますよ。
でもそれを公に発表することによる当時のリスクを考えると、「私には無理だなぁ」と感じます。
でも勇気のある凄い女性だなぁと思いますし、こういう人物が時代の節目節目に現れなくては、歴史は動かないのでしょう。
激しいイメージの与謝野晶子ですが
色々と激しく情熱的なイメージの強い与謝野晶子。
でも中学校の国語の授業で習った短歌で、育児猫がそれまで与謝野晶子に抱いていた
『破天荒』なイメージがくつがえされました。
その短歌がこちら
『金色のちひさき鳥の形して銀杏ちるなり夕日の岡に』
読み(こんじきのちいさきとりのかたちしていちょうちるなりゆうひのおかに)
という短歌です。
皆さんご存じでしょうか。
これ実は先ほど書いた『みだれ髪』に収められている一首です。
国語の授業では
この短歌は『四句切れ』。
『比喩』が使われている。
『倒置法』が使われている。
『なり』=『断定の助動詞』など技法を中心に習いました。
しかし育児猫は技法云々はどうでもよくて。
あまりにも普通というか、現代人でも秋になって銀杏の木が色づいたのを見たときに感じることを、素直に詠んだこの短歌の情景に感動したことを覚えています。
普通と言っても、育児猫に同じレベルの短歌が詠めるわけではもちろんありません。
戦時中を生きた女性。
世間と戦い、世論と戦った女性。
人様の旦那を略奪した女性。
12人もの子供を出産した女性。
そういう自分とかけ離れた女性が、秋の陽光にきらめく銀杏の葉をみて美しいと思う。
はらはら落ちてくるのが小鳥みたいな動きに見える。
っていうわかりやすい短歌を(いやもっと深い意味があるかもしれないけど)詠んだという事実がなんか育児猫には刺さったんですよね。
いろづいた銀杏の木をみると
今でもこの短歌が頭の中によみがえります。
あ、もちろん「銀杏食べたいなぁ」とか、銀杏な葉を拾っている子供たちを眺めながら
「虫ついてたら嫌だなぁ」みたいな超現実的なことも考えてますよ。
でもやっぱりきれいだな。
あぁ本当に小鳥みたいだなぁ。
と思う自分もいます。
そもそも国語の教科書の内容を覚えている人が少ない
皆さんどんなお話が教科書に載っていたか覚えていますか?
育児猫は結構覚えているんですよ。
国語の教科書に載っている文章は、当たり前ですが厳選されていて、子供の心に刺さりやすいんだと思います。
でも同級生に「あの話良かったよね」みたいなことをいっても、ほとんどの場合「そんな話載ってた?」と返されちゃいますね。
ちなみに同じ中学出身の育児猫の旦那にその手の話をすると「え?俺の時には国語はなかった(`・ω・´)キリッ」って返されるので、学校の話はしないことになっています。
まぁ教科書に載ってた話を覚えていなくてもいいのだけれど、秋の紅葉を美しいと思う感性は大事にしたいですね。
ちゃんとお題に沿った内容になっているのかしら?
今週のお題って、結構難しいなぁ。
今回は童謡「こぎつね」の話にするか随分悩んじゃいました。
もみじのかんざし つげのくし
の歌詞が大好きなんです。
きつねっておしゃれなイメージありますよね。
お題を決めるのも大変だけど、人が決めたお題に乗っかるのも大変ですね。
若干無理やり気味に書いた今日の記事。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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