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近所にいた不幸な子どもを思い出す

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近所に住んでいた若いママ

自分自身も幸せな子供時代を送ったとは思っていません。

でも不幸な子どもといえば、育児猫が思い出してしまう子どもたちがいます。

 

育児猫が10代後半の頃、近所に若いママが住んでいました。

 

このママ(Sとします)の年齢は育児猫の2つ上でした。

姉と同い年です。

 

学生の頃、姉とSが仲良くすることはほとんどなかったそうですが、結婚を機に育児猫家の近く(徒歩5分)に越してきたため、二人の間で多少の行き来が始まりました。

 

育児猫は当時、Sと話すことはほとんどありませんでした。

 

苦手というよりも、理解できない相手だったという感じ。

16で妊娠・結婚して、18で二人目を産んだSは、学生だった育児猫からすると異世界に住んでいるくらい話が合わない相手だったのです。

 

バイト先でいろいろ人生経験を積んではいましたが、「子どもの親になる」ていうのはまた別次元だったのだと思います。

 

www.ikujineko.com

 

結婚生活はうまくいっていなかった

若い夫婦にはありがちかもしれませんが、S夫婦の生活はとても順風満帆と言えるものではありませんでした。

ご主人からの暴力も多少あったようです。

 

S本人も若いから、遊びたい気持ちも強かったのでしょう。

 

幼い子供たちを人に預けて、パチンコに行くようになりました。

 

最初は子どもたちを親兄妹に預けていたようですが、預けてパチンコに行っているのがバレて、すぐに預かってもらえなくなりました。

 

次は知人に頼むようになりました。

 

姉も数回頼まれて、Sのアパートで子どもを預かったことがあります。

Sは「今日はどうしても役所に行かなくてはいけない」とか

「病院に行かなくちゃいけない」とか言って、

「2~3時間でいいから」と頼み込んで姉に子どもを預けて出かけてしまうのです。

 

ところが一度預かると朝から夜の10時過ぎまで帰ってこない。

 

2歳と0歳の子どもを連れて買い物に行くこともできないし、家にいったん帰ることもできない。

そのため姉は一日中何も食べずにSの家で待ちぼうけをくらったことが何度かあります。

当時は誰も携帯を持っていなくて、Sの家に家電はありましたが、連絡を取れる相手もいなかったんですよね。

 

Sだけじゃなくて、旦那も仕事が終わったら帰宅せずにパチンコに行ってしまっていたらしく、夫婦二人で夜遅くに悪びれもせず帰宅して「ごめんね」の一言もなく、姉はアパートを後にしたそうです。

 

知人もあずからなくなる

そんなことを繰り返したわけですから、当然知人もSの子どもを預からなくなります。

 

そうするとパチンコに行くのを諦めるかというと・・・

行っちゃうんですよねぇ。

当時はパチンコ屋に子どもを連れて行く人も多かったんですけど、Sの場合は連れて行くという選択肢はなかったらしく、アパートに置いていっちゃうのですよ。

 

狭いアパートの中で、エアコンも何も付いておらず、ほったらかしにされる幼い兄弟。

当然食べるものもありません。

 

アパートの大家さんも育児猫家がSの知り合いなことを知っていて、

「中からずっと子供の泣き声が聞こえる」などと相談されて、

姉や父がドアを開けるのに立ち会ったことがあります。

 

色々ありましたが、一番ショッキングだったのは

「アパートのドアの下から水がジャンジャン出てくるから、一緒に見てください」と言われて立ち会ったら、上の子(当時3歳)が喉が渇いてコップに水を注いだけれど、止め忘れて、シンクは食器で埋まっているから水が溢れ出していたのです。

床は水浸し。

冬だったので寒かったのでしょう。

マッチを擦ろうとした跡が残っていたそうです。

(ストーブがあったんですよ)

幸いマッチも水浸しで火が着かなかったんですけどね。

ストーブを押したり引いたりしたのか、部屋は灯油くさかったので、本当に危なかったと思います。

 

お腹が減ったのでしょう、冷蔵庫から取り出したひき肉をかじった形跡もありました。

 

その光景には大家さんも育児猫家も絶句。

今なら「ネグレクト」ですね。

警察や児童福祉局に通報しますよね。

でも当時は子供の人権って、本当に親だけが握っていたと思います。

 

子どもたちは病んでいたと思う

その日は育児猫の実家に2人を連れ帰って、父がお風呂に入れてあげました。

体中ガサガサで、なんだかよくわからないアザもあって。

父は子供好きで、すごく優しく接していました。

そんな父に対して、2人ともすっごく愛想が良くて・・・

キャッキャ笑うのです。

見ていて、さらに悲しく感じました。

 

あれくらいの年の子って、なかなか他人には懐かなかったりするものですよね。

個人差はあるけれど。

でも、全然知らないおじちゃんに全然知らない家でお風呂に入れられて、ニコニコ笑う子どもたちは、やっぱり普通じゃなかったと思います。

 

ひき肉を食べる時点で、子どもの心身は病んでいたのだと思います。

 

しかし、その後もっと決定的なことが起こりました。

 

Sが目を離している間に、兄(3歳)が弟(1歳)のほっぺたをハサミで切ってしまったのです。

 

誰も見ていなかったから、弟が兄に何かしたのか、兄が弟に意地悪したくてしたのかはわかりません。

ただ突然弟が火が付いたように泣き始めて、Sが駆けつけたら大惨事・・・ということだったそう。

 

でもハサミで切るって、意識的にやらないとできないことですよね。

刺したとかではなくて、切っているのですから。

 

若い二人は離婚して・・・

結局それから間もなくS夫婦は離婚しました。

まぁそりゃそうだよね・・・とは思いました。

 

それで子どもをSが引き取って、実家で育てる・・・

となれば、まだ良かったんでしょうけれど、どんな話し合いがあったのか育児猫には

よくわかりませんけれど、子どもはご主人が引き取りました。

 

そしてすぐ再婚しました。

再婚相手のことはまったく知りません。

 

ただ、Sから聞いたところによると、S旦那と新しい奥さんとの間にはそれからすぐに子どもが出来て、最終的に5人兄妹になったそうです。

もちろん再婚相手と子どもを作るななんて言えません。

 

ただ、Sの子どもたちにそれから会ったことはありませんが、

その後も不幸だったんだと思います。

兄も弟も中学生のころから少年鑑別所に出入りするようになりました。

兄には前科もついています。

 

でもその罪は本人だけの罪なんでしょうか。

同じ環境で育てても、罪を犯す子と犯さない子はいるとは思う。

けれど、3歳で弟をハサミで切るほど追い込まれていたあの子。

 

彼の犯した罪の被害者もいるわけですから

「仕方なかった」で済ませることは出来ないとも思います。

 

でも、本人のせいだけではないと思うのです。

S夫妻には重い責任があったと思う。

それにS自身も子供の頃不幸(母親が男を作って出て行ったらしい)だったのだから、祖父母にも責任があって・・・

もちろん親だけではなくて、周囲の大人(私も含めて)にもある程度責任があったでしょう。



でも当時、他人にできることなんて本当に限られていて。

警察には届けたけれど、民事不介入だったんですよねぇ。

 

例えば今、お隣があのときのS夫婦みたいだったとしても、その子どもたちを自分で助けることはできません。

やっぱり我が子がいちばんですから。

 

でも今なら児童福祉局に電話するという選択肢を知ることが出来るし、虐待に警察も動いてくれるようになったので、すぐに通報すると思います。

 

少なくとも、見て見ぬふりはしたくないなぁと、Sの子どもたちを思い出しては思うのです。

 

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では今日はここまで。

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