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9年間続いたいじめ

もう数十年前の話になるけれど、私は小学校でいじめられていた。

理由はいくつかあるのだろうが、身なりを整えるのが苦手で、ハンカチやティッシュを持って行ったこともないほどの忘れ物クイーンだったことは大きいだろう。

字も汚かったし、頭も悪いと思われていたらしい。

エホバの証人だったせいで「クリスマス会」などに参加できなかったのも要因の一つだったかもしれない。

 

私をいじめていたのはクラスの男子だった。

女子の陰湿ないじめは小学生の頃はなかった。

いや、本当はいじめられていたのかもしれないが、鈍感だったから気づかなかっただけなのかもしれない。

 

男子のいじめは分かりやすい。

「ブス」「ばか」「汚い」「○○菌がうつるぞ~」のような、単純かつ相手を傷つけること以外の意義を持たない言葉を毎日連呼された。

彼らが傷つけようとしたのは内面だけではなかった。

上履きを捨てられたともあるし、着席しようとしたら椅子の上に画鋲がばらまかれていたこともある。

引っかかれたり、髪を引っ張られることも多かった。

汚いと思うなら触らなければいいのに、ずいぶん直接的ないじめがあったように思う。

 

教師が気付かなかったはずはないけれど、特に何かしてくれることはなかった。

そして私も助けを求めたことはなかったと思う。

 

小学1年生の頃、一度だけ助けを求めたことがあるが、いじめがよりひどくなるだけというお決まりのパターンで終わったため諦めていたのだろう。

 

このいじめは中学を卒業するまで続いた。

 

中学生になると、数人の女子も加担するようになった。

いわゆるちょっと不良気味な女子が面白がって参戦していたように思う。

女子のいじめは、こちらを見ながら聞こえるか聞こえないかの声で、クスクス嘲笑するというようなものが多かった。

この女子の中には、敬虔なクリスチャンの家庭で育って、将来の夢は「シスターになること」という子もいたのだから笑える。

 

私に友人がいなかったわけではない。

それなりに社交性があった私はクラス替えがあるたびに、友人を作ることが出来た。

 

でもそんな友人たちもいじめに気付いていながら、やはり見て見ぬふりをしていた。

 

彼女らを責める気持ちはない。

誰だって自分に火の粉がかかるのは嫌だろうし、そんな危険性を冒して助けたくなるほど私に価値があったとも思えない。

それにどうやって助けたらいいのかわからなかったというのもあるだろう。

 

私自身、どうしてほしかったのかわからない。

「別に全然平気だし・・・」みたいな顔をするのが得意になっていたから、誰も深刻に受け止めていなかったのかもしれない。

 

親友と出会う

小学3年生の頃、一緒に登校していたグループの中に、一緒にいてとても居心地のいい子がいた。

いつもおだやかでニコニコしていて、優しい子だった。

そして、私と笑いのツボが似ていて、二人で笑いだしたら通学路を歩く30分の間ずっと笑っていられるほどだった。

 

この女の子はⅯ。

私にとって初めて親友と呼べる相手だった。

 

Ⅿと同じクラスになったのは小学5・6年の2年間だけ。

でも中学を卒業するまでずっと一緒に登校した。

私は新聞配達をしていたから、遅配などですごく遅くなることもあったけれど、Ⅿは必ず待っていてくれた。

なぜそのことに当時あまり感謝しなかったのだろう。

一緒に登校するのがあまりにも当たり前になっていたからだろうか。

 

とにかくⅯのおかげで私は不登校にもならず、楽しく学校に通うことが出来ていたのだと思う。

 

いじめの話はしなかった

私はⅯにいじめられている話はしなかった。

せっかくの楽しい時間を台無しにしたくなかったのもあるし、恥ずかしかったというのもあったと思う。

 

とはいえ同じクラスになった5年生の頃、さすがにⅯもいじめに気づいたはずだ。

 

でも二人の間で、そのことについて語られることは一度もなかった。

 

どんないじめがあっても、何事もなかったように二人で登下校していた。

それがⅯの気遣いなんだと私は思っていたし、事実そうだったのだろう。

 

でもある日、私は学校で気づいてしまうのだ。

Ⅿもいじめられているということに。

 

給食の後、Ⅿと私が水飲み場で歯磨きをしていた時のことだ。

Ⅿは歯ブラシを洗ってから、もう一度水で歯を磨いていた。

歯みがき粉がきれいに落ちているか気になったのだろう。

私はざっと磨いて終了という雑な歯磨きの仕方しかしていなかったので、Ⅿのことをちょっと離れたところで待っていた。

するとクラスの女子が私とⅯの間に入ってきて、指差してクスクス嫌な笑みを浮かべながら言ったのだ

「きたな~い」

「歯みがき粉なしでするなんて・・・」

「やっぱりⅯだよねぇ」

明らかに悪意のある話し方だったし、Ⅿにも確実に聞こえたはずだ。

でもⅯは聞こえていないかのようにふるまった。

 

私はショックだった。

Ⅿはとてもきれい好きで清潔だったし、優しい子で誰かを傷つけるようなこともなかったのに、なぜあんなことを言われなくてはならなかったのか。

 

それからよく気を付けていると、Ⅿが日常的に女子からいじめられていることがわかった。

そう。もともとⅯはいじめられていたのに、私が鈍感すぎて気づいていなかっただけなのだ。

 

Ⅿがいじめられていた原因はよくわからない。

私の様にわかりやすい理由ではなかったように思う。

Ⅿの母親が当時はまだ珍しかったシングルマザーだったことが一因なのかもしれない。

 

そして私は悩んだあげく、結局Ⅿと同じ選択をした。

気付いていないふりをしたのだ。

Ⅿを傷つけたくなかった。

二人で楽しく過ごす時間が、お互いを支えていたのだ。

 

私とⅯはその後もいじめについて語り合うことはなかった。

 

それぞれ別の道へ

Ⅿと私は別々の高校に進んだ。

当然会うことはほとんどなかった。

 

Ⅿの高校の文化祭にサプライズで遊びに行ったときは、泣いて喜んでくれた。

 

Ⅿは高校卒業と同時に、県外で就職した。

いよいよ会えなくなった。

20代前半でⅯは授かり婚

その後離婚して実家に戻ってきた。

Ⅿの娘は小学5年生になっていた。

 

たまには会えるね・・・となったら、今度は私の結婚が決まった。

 

結局なかなかゆっくり会うことは出来なかったけれど、私が3人の子供を授かり里帰り出産するたびにⅯは会いに来てくれた。

退院したらすぐに家に来て、3人それぞれにお祝いを持って抱っこしに来てくれた。

 

3人目を妊娠中、Ⅿが「癌なんだ」と教えてくれた。

Ⅿを襲った癌は「子宮頚部小細胞癌」という癌の中でもかなり予後の悪いもの。

初期で見つかっても5年後生存率が50%を切る癌だ。

Ⅿの癌は気づいたときにはすでにステージ3。

5年後の生存率は5%だと笑っていた。

子宮と卵巣と周りのリンパ節をごっそり取り除く手術を受けたそうだ。

 

Ⅿは何度かの入退院を繰り返した。

退院するたびに私はお祝いにランチをごちそうした。

 

実家に戻るたびに連絡してお茶をしようと誘った。

 

2019年正月、帰省の際にランチに誘ったところ

「ごめんね。入院中なんだ。また誘って」と断られた。

 

そしてそれが最後の会話となった。

Ⅿはその3か月後還らぬ人となり、高校生になった娘さんが私に電話してきてくれた。

旦那に子供達をお願いして葬儀には参列できた。

 

大人になってからは1年に1回会えるか会えないかだったⅯ。

でも私にとって大きな支えだったのだと、ちょっと凹むことがあるたびに痛感する。

 

親友に伝えたい

もう決して会うことは出来ないⅯ。

私はⅯともっと話をするべきだった。

「あの頃、毎日一緒に登校してくれてありがとう」

「そっとしておいてくれてありがとう」

「本当は何かしてあげられることがあったかな?」

 

いや何よりも

「私と親友でいてくれてありがとう」

「あなたが私の支えだった」

と、なぜ闘病中のⅯに言えなかったのだろうか。

 

それはたぶん今まで言えなかったことを伝えだしたら、いよいよⅯが死んでしまうことを認めてしまうようで辛かったからだ。

 

結局私はⅯの実家でお焼香させてもらったあと、Ⅿの娘に伝えた。

「あなたのお母さんが私の支えだった」

「あなたのお母さんに会えたことに、とても感謝している」と。

 

隣でⅯの母も涙ぐみながら聞いていた。

 

Ⅿの娘は今大学生だ。

国立の難関大学に現役で合格したのだ。

Ⅿもきっと喜んでいるだろう。

 

Ⅿの娘が何かに困ったときには助けてあげたいと心から思うし、そう伝えている。

でもⅯの娘だから、芯の強い子だ。

私に助けを求めてくれることはない気がする。

 

本当はⅯ本人に伝えたかった。

でも伝えることが出来なかった。

辛い時にⅯが私に寄り添ってくれたように

Ⅿの闘病を支えたかった。

 

3人の子供を育児しながらはお見舞いに行くことさえ難しかったし、そんなことはⅯもわかっていただろう。

 

だからせめてここにⅯへの感謝を記す。

『Ⅿ、もし来世があるなら、また私と出会ってほしい。

今度は私が男で結婚するのもいいかもしれない。

そしてもっとたくさん話をしよう。

あなたがいてくれて本当によかった。

あなたという命に心からの感謝をこめて』

 

 

特別お題「今だから話せること