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育児猫と母 青少年期編

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幼少期の母との思い出

育児猫と母の幼少期の話は以前書きました。

 

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本当にさんざんで、母と私の間には楽しい思い出がありません。

 

ただ育児猫が小さかった頃の話では、母はひどいうっかりものではありましたが、悪意のある感じではありませんでした。

 

母は、我々の誕生日を祝ってくれたこともなく、宿題を手伝ってくれたり、忘れ物がないように注意してくれたりしたことがありません。

今風に言えば育児放棄されていたのです。

 

母の日に学校でもらってきたカーネーションを、目の前で捨てられたこともあります。

 

でもなんとなく、子供が嫌いというよりも、注意力が足りない人なんだなぁという印象でしたね。

 

母との関係がこじれ始めるのは

育児猫は幼かった頃、特別母が嫌いだったわけではありません。

母は兄と弟を溺愛していましたが、えこひいきするという意味で言うと父の方がひどかったです。

 

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父は姉を溺愛しており、姉とは同性だっただけに、育児猫は傷ついていたのだと思います。

母が男の子をかわいがるのは「男の子だから」という理由があり(理解不能だけれど)、なぜか姉をかわいがる父の存在の方が育児猫には辛かったのです。

 

そんな母との関係がこじれ始めるのは中学に入ったころからです。

おそらくですが、兄よりも姉と育児猫の方が、はるかに成績が良かったことが引き金になったのだと思います。

「女が頭が良くても意味がない」というようなことを、父のいないところでよく言われるようになりました。

 

母は中卒で、学歴コンプレックスがあるのかもしれません。

 

とにかく中学に育児猫が入学したころから、母との関係は悪化し、それは育児猫が結婚するまで続きました。

 

ただ顔を合わせるとケンカするというほどではありませんでした。

特に父の死後はお互いに助け合う必要もありました。

 

嫌な思い出は色々ありすぎて・・・

友人に用意しておいた誕生日プレゼントを勝手に開封されて、しかも使用された。

いただきもののカシミアのコートにタバコで穴をあけられた(わざとではない・・・たぶん。

いない間に部屋を掃除されて(まぁ確かに散らかっていたけれど)、仕事に必要な書類を全部捨てられた。

結婚式の控室で最後に花嫁に一言かけてあげてくださいと教会の方に促されて「遅かったわね」。

 

などなど例を挙げるとキリがないのですが、育児猫が一番許せなかった出来事を今日は一つだけ詳しく書きたいと思います。

 

育児猫が20代前半の頃の話です。

育児猫は当時、バイトをいくつか掛け持ちしておりました。

その中には夜のバイトもありました。

 

育児猫は運転免許を持っていなかったし、飲酒することも多かったのでタクシーを頻繁に利用していました。

そして当時タクシー会社ではスタンプカードが用意してあり、1000円で1つ捺印。

30個でバスタオルと交換というシステムでした。

 

まぁバスタオルなんか欲しくなかったのですが、このスタンプカード1冊でバスタオル。

5冊でギフトカタログ。

20冊で九州内の好きなホテルで一人旅行。

30冊で九州内の好きなホテルで二人旅行。

という感じでランクアップするものでした。

 

かなりの頻度で利用していた育児猫は、数年かけて20冊貯めることができました。

 

ただ一人で旅行に行く気にはなれません。

当時は彼氏もいなかったので、誰と行こうという計画もありませんでしたが、なんとなく30冊まで貯めるつもりでいました。

 

そのころ、母もよくタクシーを利用していました。

母がスタンプカードを8冊くらい貯めたときのことです。

母は育児猫に20冊譲ってくれと言い出しました。

 

「いやだよ」とあっさり断る育児猫。

「ばあちゃんを旅行に連れて行ってあげたい」と母。

 

ばあちゃんは母の母。

当時すでに80代後半でした。

入退院を繰り返していて、いつ他界しても驚くことはなかったと思います。

 

ただこのばあちゃんと育児猫の間に思い出は一切ありません。

プレゼントやお年玉をもらったこともありませんでしたし、そもそも会ったことも2~3回しかありません。

ですから、情はほとんどありませんでした。

 

でも母は

「もうばあちゃんも弱っていて、旅行に行けるのは今しかないと思う」と涙ながらに訴えるのです。

孫としてかわいがってもらった覚えはないけれど、ばあちゃん孝行する機会はもうないかも(ちなみにこの祖母は99歳まで生きましたがw)と考えた育児猫は、母に21冊

のスタンプカードを譲りました(さらに1冊増えていたのです)。

 

母は「ばあちゃんの体調がいい時に行くね。ありがとう」と言いました。

それから半年ほど過ぎたでしょうか。

ある日母は「職場の研修旅行に行く」と言い出しました。

 

悪い予感がしますか?

育児猫は当時、何も疑いませんでした。

母の職場の研修旅行なんて初めてでしたが、「いってらっしゃ~い」と見送りました。

 

するとその日の夕方、例のスタンプカードのタクシー会社から電話がかかってきたのです。

「予約されている育児猫のお母さんがまだホテルに到着されないのですが?」という電話でした。

「え?なんで○○交通(タクシー会社)さんから電話があるのですか?」

「スタンプカードの旅行ですからねぇ。霧島いいところですよねぇ」

「は・・?」

怒りで目の前が真っ暗になる思いをしたのは、今のところあの時だけです。

 

どれ程怒っても、もう育児猫に出来ることは何もありませんでした。

翌日帰ってきた母に

育「研修旅行って言ったよね?」というと

母「え?そんなこと言ったっけ?」と。

育「○○交通で行ったんだね」

母「・・・」

育「ばあちゃんと行くって言ったよね」

母「ばあちゃんは具合が悪くて」

育「誰と行ったの」

母「○○ちゃん」(職場の後輩)

育「なんで?」

母「もらったスタンプカードだし、まぁいっかと思って」

育「本当にいいと思ってるなら、先に話すよね」

母「・・・」

 

この後1か月ほど、育児猫は母と口をききませんでした。

 

平気でうそをつかれたこと。

善意を踏みにじられたこと。

他人にいい顔をするために娘をだましたこと。

全てが吐き気がするほど許せませんでした。

 

結局1か月後に母が育児猫の部屋に謝罪しに来て「お金は払う」と言い出しました。

母から謝罪されたのは、このときが最初で最後かもしれません。

育児猫は「お金の問題ではない。いらない」と拒絶しましたが、謝罪は受け入れました。

 

なぜ実家にいたのか

それほどひどい母がいるのに、なぜ実家暮らしだったのか疑問に思う方もいるでしょうね。

実際何度も出て行ってやる!と考えました。

育児猫は実家にいる間、料理担当でしたし、お金も母に入れていました。

そのお金を使えば一人暮らしも不可能ではなかったと思います。

 

でも育児猫には10歳離れた弟がいました。

育児猫が二十歳の時急逝した父の最期の言葉が

「弟を頼む」でした。

育児猫はもともと弟のこと大変可愛がっていました。

弟が大人になって、独り立ちするまでは家にいたかったのです。

 

この弟は結局育児猫が結婚して家を出るときに、一緒に家を出ました。

今は東京で頑張っているようです。

 

母と育児猫の現在

母は今、熊本の実家で一人暮らしです。

一番近くに住んでいる育児猫の姉が車で30分くらい。

兄と育児猫は福岡在住で、弟は東京在住です。

 

母が溺愛した兄と弟は、母からの電話にまず出ません。

しつこいしめんどくさいからだそうです。

 

兄は年に2~3回、弟は年に1回位電話に出て話しているようです。

 

さびしくなった母が、結局今頼りにせざるをえないのは、姉と育児猫です。

姉と育児猫は可愛がられませんでしたが、孫のことは可愛いらしく、誕生日やお年玉などは必ず送ってくれます。

 

育児猫も姉も、子供達から電話をさせたり、誕生日に何か送ったりしてはいます。

子供の時の記憶は消えないけれど、産んでくれた事実も消えないし、自分の子供達に『母を嫌う母』の姿を遺したくありませんからね。

 

育児猫の子供達の中にも、母の血は流れているわけです。

そう思ってしまえば、イライラしたりはしても憎むこともできません。

 

今後も母とは程よい距離間で付き合っていくことになるでしょう。

 

ではきょうはここまで。

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