父が兄弟姉妹に遺したもの
父は60歳の誕生日に倒れて、そのままその日のうちに病院で逝きました。
父は死の間際、私の手を握り
「生命保険が5000万あるから大丈夫。弟を頼む」と言いました。
弟は当時小学3年生。
今の育児猫の長男と同じ年でした。
弟はお父さんっ子で、父も孫のようにかわいがっていたので、さぞ心残りだったことでしょう。
私は年の離れた弟を大変可愛がっていましたので、弟のことを頼まれるのは構いませんでしたが、
「まだ死ぬには早いよ。がんばって」
と声を掛けました。
しかし、父はそのあとすぐに逝ってしまいました。
そして通夜、葬儀とあったはずですが、正直ほとんど記憶にありません。
育児猫は当時20歳だったので、覚えていてしかるべきなのでしょうが、写真のような断片的な記憶しかありません。
何が何だかわからないうちに、終わってしまっていたという感じです。
そして、父の死からどれくらい経ってからなのか定かではありませんが、衝撃の事実が発覚するのです。
まず父の死亡保険は事故死でなくては保険が降りないという保証内容でした。
さらに住宅ローンを滞らせていたため、団体信用保険が効かず、住宅ローンも残っていました。
さらにさらに、消費者金融から小口の借金がいくつかありました。
さらにさらにさらに、姉の奨学金を借りて生活費に充てていたようです。
もっというと、父は自営業でしたが、取引先にもツケがたくさんありました。
育児猫はあまりのことに一旦思考が完全に止まりました。
弟以外は全員、頭が真っ白になったと思います。
ここで我々遺族が選べる道は二つです。
遺産をすべて放棄する。
もしくは、負の遺産もひっくるめて相続する。
随分悩みましたが、私たちは相続する道を選びました。
兄と姉と私だけなら、放棄してもよかったかもしれません。
しかし、母と弟のことを考えると家が必要でした。
幸い母は定職に就いておりましたので、母が住宅ローンを支払い、姉と私とで他の借金を何とかすることになりました。
兄のことは全くあてにしておりませんでした。
今思うとなかなか無謀な決断だったのだと思います。
我々は若く、姉も私も消費者金融の恐ろしさがわかっていませんでした。
減らないんですよね~とにかく。
その後何年も私と姉は父の遺した負の遺産を払い続けることになりました。
最終的には過払い金が大量に発生していて、一気に借金は消えました。
が、この間のストレスは半端なかったです。
しかし、この共同作業が私と姉に絆を作ったのだから、まぁ良しとするしかないのかな?
いやいやハード過ぎたわぁ。
とにもかくにも、我々姉妹は力を合わせて父の遺した借金を払いました。
仲良くなれたとか分かり合えたとかよりも、もめてる場合じゃないかったというのが正解だったかもしれません。
最終的に残った姉の奨学金を払い終えたのは、実はつい3年前です。
お互い結婚して専業主婦になったというのに、払い続ける奨学金(しかも姉名義だし)は本当にしんどかったです。
姉のうつ
姉は30前に結婚しました。
結婚するとすぐに子供二人に恵まれました。
が、もともと社交的だった姉は家にいることを望まず、保育園に預けて働きに出ました。
そのころ私は家庭教師を仕事にしていて、お互いに忙しくなかなかゆっくり会うことができなくなっていました。
育児猫と姉がなかなか会えなかったこの時期に、姉は職場の人間関係で悩み、うつ病をわずらいました。
育児猫が知ったのは姉が入院した後でした。
入院したその日に姉の旦那から電話がかかってきたのです。
旦那さん曰く「姉は誰にも言わないでくれといっているけれど、育児猫にだけは話しておく」とのことでした。
しかし、その翌日には姉からも電話がかかってきました。
姉は入院してからやっと自分がうつであることに気づいたらしく、入院したこと、ほかの誰にも内緒にしてほしいことなどを電話で話してきました。
私はあわてて、うつ病の知識をググってから見舞いに駆けつけました。
姉が私に言った第一声は
「正義が負けた」でした。
簡単に姉に起きたことを要約すると、職場で嫌な上司と真正面からぶち当たり、周りの人間はそれをはやし立てるだけはやし立てたけれど、いざというときには全員逃げて行ったというよくある話でした。
もちろんうつの基礎知識を身につけて駆けつけていた育児猫はひたすら「そうだったの」とひたすら相槌をうつに徹していて、「あ~よくあるよね」とは言いませんでしたが、まぁでもよくある話だったのです。
ドラマなら主人公である姉に、水戸黄門的な人が助けの手を差し伸べたりするのですが、現実はそうはいかなかったわけです。
姉は以前も書きましたが、人の正義を受け入れることができない人間です。
あれから15年ほど経ったでしょうか。うつは寛快しましたが、パニックを発症したり、アルコールに依存したりと、今でも精神的なもろさは変わっていません。
ただこのコロナ禍は比較的姉の精神状態を穏やかに保つことに一役買っているような気がします。
人と関わることが極端に減ったので、楽になったのでしょう。
姉のいいところ
姉の幼少期や、うつの話だけだと姉の厄介なところにしかスポットがあたらないので、姉の良いところについても話したいと思います。
姉の一番の長所は面倒見がいいこと。だと思います。
頼られると嫌とは言えない人です。
結局そのせいで、ストレスをためすぎてしまうので、短所とも直結しているのですが、そもそも人の長所と短所は表裏一体だから、仕方ないのでしょう。
育児猫も出産前後や体調を崩して入院したときなど、姉にずいぶん助けられました。
普段はお酒が大好きで、まぁまぁ重度なアルコール依存ですが、人に頼られたときはシャキッとするのが姉なのです。
あと話がとても上手で、読み聞かせなどもすごくうまいです。
うますぎて、逆に育児猫の子供たちは嫌がりますが・・・。
(読み聞かせでは感情移入しすぎてはいけないらしいですね)。
育児猫の心配事
姉と父はとてもよく似ていると思います。
人が良く、話が面白く、酒に弱く、打たれ弱いのです。
父の記事は別にいつか書く予定ですが、父の死は精神的なものだったと育児猫は考えています。
姉も自分のストレスをうまく発散するすべを身につけなくては、父と同じになってしまうのではないかと、育児猫はハラハラしています。
ですから姉から電話があると(たいてい愚痴なんですが)、1~2時間でも付き合ってしまいます。
話して楽になるならね。と思っちゃうんですよね。
でもそもそもストレスをためないように、
そう、育児猫のように暮らせたらいいのにねぇ。
性格は変えられないんでしょうかね。
とにかく今日の記事で一番言いたいことは、
「皆さん終活はしっかりやりましょう」ってことです。
育児猫の父のように、うっかり生命保険は笑えませんからね。
今日も最後までお読みいただきありがとうございました。
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